神奈川・箱根地区のこけしの名声を高めた一因として、昭和25年に行われた全国見本市人形展において、箱根町の片瀬快平さん(故人)の「箱根わらべ人形」が最高賞を受賞したこともあります。それまではこけし生産では新しいこの地区から最高賞が出たことで、白石のこけし業者がこぞって視察にきたそうです。昭和33年には小田原こけし振興会が設立され、こけし産業が奨励されるようになり、新型こけし製造業者は二百を超えるようになりました。昭和30年代後半には国内有数の産地になり、昭和50年代までは盛んに制作されていました。この間意欲的な新型こけしの作者で構成された「まゆみ会」が設立され、コンクールの開催やデザインの研究などを行い、後の創作こけしの基礎となるような高尚な作品が盛んに発表されました。
しかしながら、その後時代とともに世の中のこけし熱が低下し、こけし振興会の解散とも相まって、昭和60年代から平成にかけて作者が廃業したり亡くなったりし、同時に後継者も殆ど育たなかったため、今日ではごく僅かながら生産されているにすぎません。