9. 新型こけしの広がり(群馬)

こけし制作の背景

群馬県前橋市総社地区は戦前からの挽物の産地で、その基礎を築いたのが関口専司翁でした。専司は東京麻布で木工ろくろの技術を習得し、明治43年に郷里に木地玩具店を開きました。
その後大正9年には近代的な設備を備えた工場が創設され、独楽やミニ茶器などが量産されるようになりました。
またそこで働く工人達によってその木地挽き技術が受け継がれ、こけしの制作地としての基礎が出来上がっていきました。

こけし作りの広がり

戦後、新型こけしの生産が始まりその後渋川市、群馬町、吉岡村等の業者を含め「群馬県こけし協同組合」が設立されました。また昭和35年から群馬県近代こけしコンクールが年1回開催されるようになり、その後の創作こけしの発展に大きく寄与をしています。
昭和50年代以降作者数は減少しているものの、現在に至るまで創作こけし作家の数、作品の制作数において他地区を圧倒しています。