14. 近代こけしの発展(その2)

新型こけしの初めてのコンクールが予想外の盛況ぶりであったことを受け、日本農工芸作家協会では新型こけしを室内装飾の美術工芸品としての位置付けを目指すことを目標に昭和29年より「全国こけし人形コンクール」を開催しました。これにより個々の作者が新しいこけし工芸分野の確立という共通の目標に向かって協力、切磋琢磨し、作品の公開、審査による客観的な評価を得ることで、より優れた作品が登場するようになり、おおいに発展していきました。昭和30年代に入ると志を持った作家たちによって、より芸術的な作品が次々と発表され、それまで新型こけしの主流だったお土産用のこけし人形との間に明らかな違いがみられるようになりました。そこでこれらを区別するためより芸術性の高いものを「近代こけし」と呼ぶようになりました。この近代という響きは若干違和感が無かったわけではないようでしたが、当時の作家協会の定義としては「近代とは古代から現代にいたるまで我々日本民族に脈々と受け継がれてきている伝統的技法伝承の懸け橋となるべく、これまで培ってきた木工ろくろ技術の伝統を守り確実に将来に継承するとともに、さらなる創意工夫によって深遠な芸術的価値を持った工芸品として分野確立を望んで命名した」とされています。またこの言葉の奥には、作者の作品制作に対する精神的態度、美術工芸家としてのプライドと作品に対する責任を持つことへの期待が込められていました。