1. こけしの源流

ろくろの歴史

こけしを生み出す木工ろくろの歴史にたどってみれば、弥生時代の遺跡からもろくろ挽きの円形木器が出土しています。また、法隆寺に伝えられているお経を納める百万小塔と呼ばれる塔はきわめて高度な技能で作られ、仏教伝来とともに古代朝鮮半島からの渡ってきた技能者集団が重要な役割を果たしていたと考えられています。

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2. 伝統こけしの成立ち

伝統こけしの誕生

創作こけしの基礎となった伝統こけしは、江戸時代の文化、文政から天保年間のころに誕生したと考えられています。もともとは子供の手遊び玩具として、東北各地の温泉場の土産物屋で売られていました。また温泉以外の町や村でも、雑貨屋などで日用品と一緒に売っているところもありました。また神社の参道の露店や、呉服屋や荒物屋の店先で売っていたことも記録されています。こけしはこのような様々な経路をとって家庭に入り子供たちの手に与えられ遊び相手をしたものです。

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3. 子供のおもちゃから観賞用人形へ

おもちゃとしてのこけしの終焉

こけしが子供の手遊びおもちゃであった時代はこけしが発生してから100年ほどの大正末期頃までのことです。大正期になると都市でつくられたブリキ製のおもちゃが東北地方の町や温泉でも売られるようになり、そのほかの新しいおもちゃも次々と現れました。その中でこけしは単調で古臭いおもちゃという立場になり、子供からもその母親からも見捨てられ湯治場からも町の店からも徐々に姿を消すことになりました。
また木地師がつくる日用雑器の需要にも変化が起き転業する木地師が増え、こけしの作り手は減少の一途をたどりました。ここにこどものおもちゃとしてのこけしの使命が終わろうとしていました。

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4. 伝統こけしの系統

東北で生まれたこけしには現在も東北全県で作られています。それらは産地、工人の師弟関係、構造、造形、形態、彩色などの違いで各系統に分類されています。これらはそれぞれ違った産地で作られていて父祖伝来の形態を守りその伝統を継承しています。

その系統は以下の10系統となっています。これらの系統の違いは収集家にとってみればとても魅力的なことです。

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5. こけしの起源

こけしの起源になったものは一体何でしょうか。これには多くの説があってはっきりとしたことはわかっていません。木地師が子供のために作った手製人形から転化したとする「玩具起源説」、オシャブリから無彩のキナキナを経て目鼻がついたこけしに成ったという「育児用具転化説」、オシラ様から転化したとする「民間信仰呪物説」、小正月の子祝棒が形を変えたとする「縁起物転化説」、山稼人が山の神に奉る鉈割人形から転化したとする「山中三助様説」、「北海道のニポポから転化した説」など諸説あります。

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6. “こけし” の名称

”こけし”の呼び名

こけしという言葉はいまでこそその始まりからついていたように思われていますが、この名は比較的新しくできたものです。もともとこけしが子供の玩具であった時代はコゲス、ボコ、コゲスボコ、デゴ、キナキナの5種類の呼び方を基本としてさらに各地方で様々な方言で呼ばれていました。その後コケシボウコ、こけし這子などと呼ばれるようになり、昭和15年に“こけし”の呼称に統一されました。
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8. 新型こけし誕生の背景

こけし誕生の時代背景

戦後新型こけしはどのように誕生したのでしょうか?敗戦による荒廃は日本全土におよび、東北地方も例外ではありませんでした。各地で復興にむけた産業が奨励されるなか、もともと伝統こけしや木地製品などの製造で木工ろくろの技術が確立していた東北地方では、その技術を応用できる新たな産業の開拓が望まれていました。
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9. 新型こけしの広がり(群馬)

こけし制作の背景

群馬県前橋市総社地区は戦前からの挽物の産地で、その基礎を築いたのが関口専司翁でした。専司は東京麻布で木工ろくろの技術を習得し、明治43年に郷里に木地玩具店を開きました。
その後大正9年には近代的な設備を備えた工場が創設され、独楽やミニ茶器などが量産されるようになりました。
またそこで働く工人達によってその木地挽き技術が受け継がれ、こけしの制作地としての基礎が出来上がっていきました。
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